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ゴールデンゲートブリッジ

 私は,幼少のころ,少しサンフランシスコに住んでいたんですが,そのときに,よくゴールデンゲートブリッジに遊びに行きました.ゴールデンゲートを渡ると,WWⅡのときに作られた砲台の後や,ちょっとしたモニュメントがあるところがあります.そこによく行って遊んだことを良く覚えています.わたった側から,サンフランシスコを一望することができます.その景色は,結構絶景で,見ごたえがありました.
 そんな,サンフランシスコの名所であるゴールデンゲートブリッジが実は自殺の名所であったとは,知りませんでした.記事にもあるように,ここは車が通れる道なんですが,横には歩道があり,歩行者や自転車が自由に行き来できるようになっています.今回はその話題です.

自殺防止か景観か…金門橋にフェンス計画

 米サンフランシスコのシンボル・金門橋は世界一の飛び込み自殺の名所とも言われ、確認されているだけで自殺者は年平均約20人に達している。昨年1年間のすべての飛び込みの瞬間を記録したドキュメント映画が制作されたことをきっかけに、自殺防止フェンスを設置する計画が浮上している。

 1937年に橋が開通して以来、遺体が収容されるなど公式に確認された自殺は約1300件。実際には2000件を超えていると見られている。昨年の確認数は19件で今年もすでに4件を数えている。

 橋は自転車や歩行者も通行可能だ。歩道の手すりは高さ約1・4メートルで、その気になれば乗り越えることが出来る。橋を管理する金門橋高速道路交通管区のマリー・カリーさんは「パトロール員が常時監視し、自殺を思いとどまらせる『命の電話』も設置している」と説明するが、根本的な対策は取られてこなかった。

 管理当局をあわてさせる事態が起きた。「記念碑的な橋を記録したい」との名目で許可を取り、橋を見渡せる2か所にカメラを設置し、昨年1年間24時間態勢で撮影した映画監督のエリック・スティール氏が、自殺の記録映画として公開しようとしていることが発覚したのだ。

 スティール氏は当局に対し「人間性を描く作品となる」と説明しているが、映画が公開されれば、さらに自殺志願者を呼び寄せることが強く懸念されている。

 このため飛び込み防止のフェンスを設置する計画が急速に具体化し、2月25日に開催された同交通管区の公聴会で、検討を進める方針が決まった。

 だが橋の姿を多少とも損なうことになるフェンス設置には地元市民の間でも抵抗が強く、世論調査では反対が多数を占めている。

 「『飛び込みたいのなら飛び込ませればいい。すべて自己責任』と考えている人が多い」と指摘するのは、金門橋の自殺防止に取り組んできた地元精神科医のメル・ブロースタイン医師だ。背景にあるのは米国流の「個人主義」らしい。

 また金門橋の運営が巨額赤字に悩むなか、設計だけで200万ドル(約2億800万円)、設置に2000万ドル(約20億8000万円)前後かかるとみられるフェンスには経済的理由からの反対意見も強い。

 賛成・反対の議論が白熱するなか、同交通管区は3月11日にフェンス設置の是非について一定の方向を打ち出す予定だ。

 ブロースタイン医師は「橋の魅惑的な姿が自殺志願者を呼び寄せている」と分析する一方で「金門橋での自殺のほとんどは発作的なもの。未遂に終わった人の追跡調査では95%の人は二度と自殺など考えない。また金門橋からの自殺は苦しんだうえの水死だということを知るべきだ」と語る。
(読売新聞)


 この橋は本当に綺麗で,素晴らしいと思います.ちょっと,橋の歴史を見てみます.
 この橋は米国のゴールデンゲート海峡をまたいで,サンフランシスコ市とマリン半島を結ぶ吊り橋で,使われた鋼材の総重量が10万tを超え,全長が2,825m,太平洋航路をいく大型船舶がその下をくぐりぬけられるように中央部が海面から70mの高さにあるという非常に大きな橋です.その壮麗な姿は当時、湾岸沿いの都市再建のシンボルとなりました.
 橋を設計した人は,世界中の400以上の橋を設計したジョセフ・ストラウス(詩人・哲学者でもあった)であり,彼の人生で最後の設計により,1933年1月建設開始されました.海流の流れが速く,強風と霧が多い海峡での工事は常に危険と隣り合わせ且つ困難だったみたいですが,4年後の1937年5月に開通しました. 開通初日は歩行者のみに開放されて,約20万人の人が橋を渡ったらしいです.人々の重みで橋が3メートルも下がったといわれています.
 建設当初,橋の色を名前にちなんで金色や黄色と黒のストライプなど,いくつかアイディアが出されましたが,霧の中でも目立ち,周囲の色とのコントラストが美しいということでオレンジ(朱色)に決定されました.現在でも定期的に塗り替え作業が行われていますが,30人の作業員で約48日間かけ2トンものペンキが使われるそうです.
 名前の由来は,1846年,外洋船船長のジョン・フリモントが,トルコのイスタンブールにある金角湾(ゴールデンホーン湾)にこの海峡が似てるということから”ゴールデンゲート”と名づけたことに由来するみたいです.

 僕がこの橋を最後に見てから,もう何年もたちましたし,少し忘れていましたが,今回は思わないことから,再び興味をもってみることができました.小さいころはこんな歴史があるなんて思っても見なかったので,新しい発見です.もう一度,直接見てみたいと思います.
ゴールデンゲートブリッジ_c0006482_2131845.jpg

by hikarigoke1 | 2005-03-02 21:31  

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